『東京Ruby会議12』を開催しました #tokyorubykaigi
こんにちは、おしょうゆです。2025年1月18日に開催した東京Ruby会議12の実行委員長です。
東京Ruby会議12には322人の参加登録があり、22人のスピーカーを迎え、27社にスポンサーしていただきました。みなさま、本当にありがとうございました。
撤収を終え帰宅し、自室のデスクに座った瞬間に「万感の思い」という言葉の意味を心で理解したことをよく覚えています。単純に疲れ果てた、盛況のうちに終わって嬉しい、もう他の実行委員たちと一緒に仕事をすることはないと思うと寂しい。「今、すべての感情を味わっています」という言葉を誰かが言っていたのを思い出して、ああ、こういうことかと思っていました。
ひとりの実行委員として担当した実務面は別途出すRubyist Magazineの記事に譲るとして、本稿では実行委員長として考えていたことについて書こうと思います。
Rubyを「使う」ことについて、カッコよく発表できる場をつくること
何をさしおいてもこれです。私自身がRubyという言語が大好きなので、その可能性を拡げるようなカンファレンスにしたい、Rubyですばらしいソフトウェアを書く人たちがカッコよく映える場にしたい。最初の企画書の時点からこれは一貫していました。
自分の意思表明を読み返すと、「こんなシーンで Ruby が実用的に使われていますよ、というショーケース的なものを作れると面白いと思う」と書いてあって、これを読むと今でもワクワクしますね。「適材適所な技術選定」をするのではなく、Rubyですべてを可能にしていく話を聴けたらおもしろいじゃないですか。タイムテーブルのつくりから、この片鱗が伝わっていれば幸いです。
基調講演のお願いもこの方針に乗っています。John HawthornさんはCRubyをどんどん良くしているスーパーハッカーですが、実際GitHubでやってる開発ってどんなRubyメカが使われてるの、というところを話してもらいました。Kohei SuzukiさんもRubyでいろいろなツールを書いているかたわら、Rustもバリバリに書いているということで、そういった視点から見たRubyってどうなの、という話をお願いしたのでした。どちらもずっと前から聴きたかった話なので、個人的に大満足です。
そして定例資料を見返すと、せっかくやるならカッコいい場にしたい、という気持ちが最初からあふれていたのに気がつきました。会議室やコンベンションセンターではなくホールがある会場を選んだのは、カッコいいホールでカッコいい発表をすることへの憧れがずっとあったからです(今でもあるし、ずっとある)。
東京Ruby会議12の「会議」としての設計はRubyKaigiの影響を大いに受けている一方、その議題は少し違ったものにしたつもりです。空気感は少し似通いつつも内容はちょっと違うな、と感じていただけたのであれば、場とコンテンツを設計した者として狙った通りになったということで、大変うれしいことです。
「東京」Ruby会議にすること
これも外すことはできないでしょう。「東京」の名を冠して東京でやるからには、東京でやる意味のあるイベントにしたかったのです。単に人口が多くて都合の良い土地で開催するというのではなく、東京(首都圏)のRubyistが中心の場をつくりたかった。
(という話をすると、神奈川じゃんという声が聞こえてきそうですが、都内では空いている会場が本当に見つからなかっただけなのです。埼玉も千葉も探したので、地元びいきではないのですよ)
そんなわけで、地域.rbのオーガナイザーたちに壇上にお上がりいただくRegional.rb and the Tokyo Metropolisの企画はほぼ一番最初からあった構想なのでした。大倉さんにもご協力いただいたことで、実に面白いセッションに仕上がったのではないかと思います。
とはいえまさか三浦半島.rbやko.rbのような新規コミュニティの立ち上がりにもつながるとは夢にも思っていませんでした。
他にもスポンサーボードならぬ地域.rbボードを作ってみたり、地元・出身・在住・ゆかりの都県をアピールできるシールを配ってみたりと、ちょっとした仕込みをしてました。シールについてはどこが一番貼られたかを集計しようと思ってたのですが、150枚発注したはずのTokyoが162枚残ってたりしてなんか難しかったですね。
関東生まれ・関東育ちとしては、RubyKaigiが地元にきた・くるかもな人たちがけっこううらやましいのです。これは本当。
最高の仲間を集めること
東京Ruby会議12の実行委員(コアスタッフ)は6人です(osyoyu, pndcat, terfno, alitaso, minami, ikaruga)。このメンバーが本当に良かった。実行委員長として自慢したい。鼻高々。
キックオフで話した中で明確に果たせなかったことがひとつあって、それは「がんばりすぎない!!」ことです。爆発していた野望を実現するために、チーム一同明らかにがんばりすぎてました。
「企画を思いつく人とその実現に奔走する人」的な構図ではまったくなく、あるいは「自分はこのセクションに注力するから他はよろしく」的な構図でもなかったです。全員がカンファレンス全体に対して実現したいアイデアをどんどんぶつけてくれるし(箱、スポンサー集め、収録機材、プリ機、ビール、ノベルティ大量、アンチボッチランチ、……)、実行委員長の適当な思いつきもしっかり受け止めた上で「は?」が返ってくるので、楽しくて仕方なかったです。(自分の主観的にはそう!)
ちなみによく聞かれるのですが、「プリ機を置きたい」はalitaso先輩が持ち込んでくれたアイデアです。
少人数体制を取ったことは、この面においては非常にポジティブに働いたのだろうと思います。やりたいことをやってほしいと常に思っていましたし、それにあたって確認をとるべき相手が少ないのはよかったのだろう、と思うことにしています。なお、引き換えに一人あたりの仕事量はとんでもないことになりました。
とはいえ、究極的には自分がやりたくて始めたカンファレンス。実行委員長がこだわりたいところはこだわれるよう、たくさん手を動かしてもらいました。いきなり前夜祭をやることにしたり、あまりにもホワイトボードを置きたくてどうにか安価で調達できないか探ってもらったり、会場でコーヒーを出すために食品衛生責任者資格を取ってもらったり……。
打ち上げでは「おしょうゆの行動であり得ないと思ったもの」を発表する大会がなされ、こう、良かったですね。すみませんでした。osyoyuはやってて楽しかったので、みんなも楽しんでくれていたら良かったです。
余談:まったく受け止められなかったパッションとして、「共通テスト(センター試験)をやりたい」がありました。なにせ共テと同日開催だったので、Rubyに関係するそれっぽいことをできると面白いんじゃない? ぐらいの雑な案。実行委員の4/6が高専出身でセンター試験を通ってきていなかったので、そもそも理解されなかったのですね。そういうこともある。
そして「会議」を踊らせる
当方にぎやかな場が大好きです。カンファレンスでは人と話すのが楽しい派。なんてったってconference = 「会議」だから。
発表を聴いて終わりのセミナーではなく、「会議」になるようにいろいろやりたい気持ちはありました。前述のホワイトボードもそうですし(LR parser gangsに活用してもらえてて超うれしかったです)、English speakerにも話をわかってもらえるよう自動字幕による翻訳を用意してみたり。
にぎやかな場をめざして超大量の企画や制作物を作ってもらいましたが、その多くにちょっと口を出したような気がします。その節はありがとうございました(thanks minami)。だいたい全部やれて本当によかった。
なお自身の手もめちゃくちゃ動かしたつもりです(※ クックパッドでの自分を知ってる人の想像よりは仕事してたと思う)。まあそれはそれ。
おわりに
持続性のない運営をやりきれてよかった #tokyorubykaigi
— osyoyu (@osyoyu) January 18, 2025
これに尽きます。燃やし尽くせてよかった(「最初はそんなこと言ってなかったじゃん」というお叱りは頂戴しました)。再現性が少しばかりなさそうなので、東京Ruby会議13の計画はありません。
なお、セッションの録画の公開とRubyist Magazineでのレポートの公開だけはまだ控えています。これを終えたら東京Ruby会議12の運営はおしまい。またどこかで!